兄貴な謙也
 ガラスの靴を拾った。
 そう言ったら謙也にひどく馬鹿にされた。これはただの比喩表現だというのに彼はあとどれぐらいで気付くのだろうか。謙也はガラスの靴なんていたくて履けん、と首をかしげている。どうやら彼にはこの表現は難しすぎたらしい。しかたなく、俺はガラスの靴――もとい、さんの落としていったシュシュを謙也に見せてやった。

「なんやそれ」
「ガラスの靴や」
「はあ?」
「そんで、俺が王子でさんがシンデレラっちゅーことや」
「……意味わからん」

 呆れたように謙也がいう。それでも俺にとってこれはガラスの靴なのだ。先ほど体育を終えたらしいさんが俺の前を通りすぎていったとき、その残り香とともに置いて行かれたこの髪飾りは。
 手にしたそれを見ると頬が緩む。もうすぐ授業が始まってしまうから、惜しいけれどそれを鞄の中へしまった。この授業が終わったらお姫様を迎えに行こう。



 授業の終わりを心待ちにして、それでも授業は完璧に受ける。チャイムが鳴って、号令が終わるとすぐに教室を出た。心なしか足が早くなる。四組に着くと副部長の頭がまず目に入った。健二郎も俺に気がついたらしく、教室のドアのところまで出てきてくれた。一応、邪魔にならないようにすこしドアから離れて。

「白石、なんかあったん?」
「自分、同じクラスにさんって子おるやろ?」
「おるけど」
「その子の落し物拾ってん。せやから届けたろ思て」
「おお。呼ぼか?」
「頼むわ」

 そういって健二郎は教室の中へと消えていった。そのすきに、どきどきとうるさい心臓を落ち着かせようと試みる。が、さんに会える、と思うとその音は一層激しさをますばかり。
 あかん、なんか息まで荒くなってきたかもしれん。こんなことなら氷でも持っていればよかった。きっと顔は真赤に違いない。
 火照った顔をさまそうと必死になっていたら、後ろからさんの香りがして振り向いた、ら。

「わっ」
「う、わ。あ、す、すまん」

 予想外に近かった距離に驚いて情けない声を出してしまった。さんの方を向けば、SALAの香りがより強く俺の中へ入ってくる。その香りに頭がくらくらする。それでもなんとか意識をつなぎとめて声を絞り出した。

「あの、俺」
「白石、お前着替えんでええんか?」

 さんに渡すものがあって、と、それを拾ってから絶えずシミュレートしてきた言葉をひねり出そうとすれば、聞こえてきたのは謙也の声。え? と思って振り返ると、そこには体操着姿の彼がいた。体操着、その格好を見て自分のクラスの次の授業を思い出す。急いで時計を見れば、もう授業開始まで五分しかなかった。(謙也がこんな時間まで校舎内にいるのは、きっと体操着を置いたまま消えていった俺を探していてくれたからだ)

「白石くん、次体育?」
「お、おお。そうなんや」

 早くいったほうがいいよ、という彼女の言葉に押されて、走って教室に向かった。教室に着いてももう誰もいない。急いで着替え始めると、誰かが入ってくる気配がした。着替えを続行しながらもそちらに目をやる。

「謙也、なにしとるん! お前だけでもはよ行き!」
「あー、ええよ、一緒に行く。それと、さっきの子から伝言やでー」

 体育がんばってね、と彼女はいっていたらしい。と聞くと、俺の脳内で、ご丁寧に声までついて再生された。止まってしまっていた手を急いで動かす。着替え終わり教室を出たところでチャイムが鳴った。

 三分ほど遅れて到着した俺達は、前の授業の関係でちょっとだけ遅れてきた先生のおかげで怒られずに済んだ。


はこべ
(私と逢っていただけますか)