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小学校のころに大人気だったし、わたしもとてもとても気に入っていた髪をばっさりと切った。それは中学一年生の秋のこと。それからちょっと伸びるたびに髪を切って、ときどきさらに短くもした。ベリーショートの髪は、はっきりいってわたしには似合わない。それでもわたしはもう二度と髪を伸ばさないと決めたのだ。 「残念やねえ、」 「わたしも」 小春ちゃんとは三年間おんなじクラス。頭もいいしだいすきだ。いちおう彼(こういうのも違和感がある)はおとこのこだけど、でもやっぱりかわいい。それなのに運動もできるし、ほんとうにすごいなあ、と思う。 小春ちゃんと仲よくなったのは中学一年生の夏のころ。宿題が多くて困っていたわたしを助けてくれたのが小春ちゃんだった。わたしはちいさいころから数学がだいの苦手で、もうテストなんか見られたものじゃない。そんなわたしにとって、夏休みの数学の課題なんてもう地獄のようだった。夏休みのおわりごろに先生に泣きついて、それでもわかんなくてひとりで教室でうんうん唸っていたところに、ネタあわせする予定だったふたりが来て、ついでに宿題を見てくれる、ということになった、のだった。 「ああもう、ほんとやだ。なんで数学なんてあるの」 「まあ、いまはまだ義務教育やしねえ」 「たしざんとひきざんとかけざんとわりざんだけできたらいいと思うのに」 「ごちゃごちゃゆっとらんではよやれや。俺らの時間がなくなる」 「こらユウくん!」 一氏は飛び入り参加でふたりを邪魔したわたしをうっとおしがっていた。そんな彼にすこし恐怖の念を抱きながらも、小春ちゃんに教わりつつ数学の問題集と格闘した。しばらくすると小春ちゃんがトイレに行くといって、一氏もついていこうとしたけれど小春ちゃんに拒否されてた。しゅん、とした一氏がちょっとだけ可愛かった。 「……(沈黙がおもい、!)」 「……なあ」 「うあい!」 「……おれも、数学なんてなくなったらええ、とおもう」 少しだけ顔を赤くしていった、今よりも幼い顔をまだ鮮明に覚えている。だってくやしいことに、わたしはその瞬間一氏に恋をして、その瞬間失恋が決定したのだから。 一氏は小春ちゃんがすき、そんなのはしってる。でもどうしても諦めきれなくて、自分がおんなのこ、っていうのがいやになった。そうしてわたしは髪を切った。失恋した、というのもあるし、なによりそっちのほうが、もしかしたら一氏の目に止まってくれるかもしれないからと思って。 「でもやっぱりちゃん、ロングのほうが似合うわあ」 「んー……、だよねえ」 「うん」 一氏は、なんで小春ちゃんがすきなんだろ。おとこのこだからかな、それなのにおんなのこみたいだからかな、それとも、小春ちゃんだからかな。なんにせよ、一氏がわたしを好きになるなんてありえない。絶対に絶対に、ありえない。ゆっていてむなしくなった。短い髪の毛をつんつん、と突っついた。指がほんのりいたい。 お昼休みに職員室にいったらせんせいに荷物を押しつけられた。おもい。それに、世界地図だかなんだかしらないけれど長いし大きいから持ちにくい。しかも二本。しかも社会科準備室、なんて、どこにあるの。 きっといまごろ一氏は、小春ちゃんとらぶらぶしてるんだろうなあ。いいなあ。はやくこんなの片付けちゃおう。気合をいれて地図を持ち直した、ら、手が滑っておっこちた。もうやだ。 「あ」 「大丈夫?」 拾おうとしたら先に誰かが拾ってくれた。包帯の巻いてあるひだりうで。これは、白石くん、だ。白石くんはもう一本の地図もわたしから奪い取ると(すっごいやさしくだったけど)、「これ、どこまで持っていったらええ?」と聞いてきた。 「あ、えっと、社会科準備室」 「ん、せやったらこの近くやな」 「わたし場所知らなくて」 「そんなら教えたるよ。ついてきい」 「うん」 白石くんはうまいぐあいに二本の世界地図を抱えて、迷いのない足取りで歩いて行った。さわやかに笑う白石くんを見て、これじゃあモテるはずだなあと思った。 「さん、ここがそうやで」 「わ、ほんとだ。覚えとこ」 そういったあとで、白石くんがごく自然にわたしの名前を呼んだのに気付いた。わたしが白石くんのことを知っているのはまあ普通だとして、なんで白石くんがわたしを知っているんだろう? 「白石くん、」 「白石!」 わたしのことしってたの、と言おうとした声にかぶせて声が聞こえた。この声、は、振り向かなくてもわかる。きゅっきゅっきゅ、と靴の底を鳴らして近寄ってくる一氏の気配になぜか泣きそうになった。わたしは後ろを見なかった。 「どうしたん、ユウジ」 「あー……、小春が白石のこと呼んでるん」 「ほんま? どこ?」 「テニスコート」 「ありがとな、俺、行くわ」 「おお」 今度は一氏が来た方へ白石くんの気配が消えていった。それでも一氏はまだそこにいて、あの一年生の夏にみたいに黙っていた。やっぱり沈黙は重い。 沈黙が重いから、だから、わたしの目にたまっていた涙はぽたっと床に落ちたんだ、と思いたい。重さに耐えきれないんだ、きっと。 泣き出したわたしを、たぶん一氏は困ったような顔で見てるんだろうな。 「……もしかして、白石にふられた、とか」 わたしは頭を横にふった。 「怪我でもしたんか」 またわたしは頭を横にふった。 「……具合悪い、とか」 それでもわたしは頭を横にふった。 一氏は困ったようにためいきをついて「そんならどうしたん」と言った。めんどくさいならどっかいっちゃえばいいのに、一氏のばか。でも声には出なかった。一氏なんて、あんたなんて。今度こそは涙声だったけれど声はしぼりだせた。でも続きが思いつかなかった。 「俺?」 わたしはうなずいた。 「……おれが、どうしたん」 がんばって声をしぼりだした。でもこれって日本語的には絶対まちがってる。でもいいや。やっといえたから。 |