つんでれゆうじ!

 しとしとと雨が降っている。そのせいで学校全体が湿気を帯びて、机もべとべとしていたし、いま目の前にある日誌もふやけていた。
 そのふやけた日誌と格闘しているのは、同じクラスで今日一緒に日番になってしまった一氏ユウジだ。部活へは遅れていくといってあるらしい。小春ちゃんをさみしそうに見送る一氏を思い出す。かわいそうだったけれど笑えた。

「……『今日のできごと』って、なにかいたらええかわからん」

 日誌のその部分だけが空欄だった。もう結構な時間、一氏はなにをかくか迷っている。たしかに今日はなんの変哲もない日だったけれど、でも雨がふっているし、雨が降っていていやだった、とか適当にかいたらいいのに。
 一氏は背もたれに体を預けてぶつぶつとひとりごとを唱えだした。今日のできごと、今日のできごと、とうわごとのように呟く。うーん、と唸り声が聞こえて、それからすこし音量を増した声が聞こえた。

「……オサムちゃんが授業くるとき、慌てて滑ってこけた」
「よくあることじゃない?」
「……小春が今日も輝いとった」
「(一氏からしたら)いつものことでしょ」
「あー……千歳がいなかった」
「それもよくある。……っていうか、千歳くんって別のクラスでしょ」

 あー、と声を上げて頭をがしがしとかいた。そしてそのまま机へ肘をついて、そのうえに顔を乗っける。一気に近づいた距離に少し緊張が走った。
 一氏はそれからクラスの何人かの名前と出来事(だれだれが忘れ物をしていた、あいつの今日のぼけは素晴らしかった、とか)をつらつらと話した。よく人のことをみてるなあ、と思ったけれど口には出さない。なんでもいいからはやく決めちゃってよ、というと、一氏はすこしむずかしそうな顔をして、そしてなにかを一瞬考えてからふやけた日誌に文字をかいた。そうしてわたしへそれをよこす。わたしの分の感想も書いてしまおうと思い日誌の今日のできごとのらんを見ると、きれいだけれど癖のある文字で「加藤が失恋した」と書いてあった。わたしはその下に「今日は雨が降っていていやだった」と書き加える。

「加藤くん、失恋したの」
「ん。今日の昼休みにな」
「へえ」
「……興味なさそうやな」
「だって、加藤くんと話したこと、あんまりないし」

 加藤くんは同じクラスで、たしかにときどきは向こうから話しかけてきて話すこともあるけれど、友人というまでには遠かった。一氏はわたしから目を背けて窓の方をみる。雨は相変わらずふっていた。

「かわいそうやなあ、あいつ」
「そうだね」
「お前みたいなんすきになってもうて」
「……えっ?」

 一氏の予想外の言葉に一瞬言葉をなくした。誰が誰を好き? そう問うたら一氏は「せやから、加藤がお前のこと」としれっといった。わたしがまた言葉をなくしていると、「今日の昼休みな」と一氏は話し始めた。

「加藤が、『おれ、さんのこと好きやねん』とかいいよって」
「はあ(声真似うまいな)」
「そんで今日にでも告白するゆうたから、あいつは彼氏いるっていってやったん」
「え、わたし彼氏なんていないのに」
「しっとる」

 じゃあなんで、といったら一氏は、「お前、加藤に告白されたらどうした?」と言った。加藤くんに告白されたら、考えたこともなかったけれど、でももしかしたらつきあったかもしれない。そう答えると一氏はやっぱりな、といってためいきをついた。

「だからや」
「え?」
「お前が加藤とつきあうの、嫌やねん」
「……一氏が?」
「そう」

 あいつとつきあうんやったら、俺とつきあえ。ぼそっとそういったのが聞きとれた。わたしが言葉に詰まっていると、一氏は沈黙に耐えかねたのか、立ち上がって教室を出ていった。扉を閉める時に「返事は明日きくから、よおかんがえとけ!」と言い残して。

 ひとり残されたわたしは、ぼうっとしたまま、日誌をオサムちゃんのところまで出しにいかなければならないと考えていた。
 一氏に告白されるなんて思いもよらなかった。だって、あいつは小春ちゃんを好きだし、まして女であるわたしを好きになるはずなんてないと思って諦めていた。だから、もしかしたら加藤くんとつきあったかもしれなかったんだ。諦めるって、なにを? 自分のなかで問いかけて、でも答えは存外に早くでた。そう、わたしは前から、一氏ユウジがすきだったんだ。


ひねくれもじ